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打倒家康、誓いの道~萩の吉田松陰(2) [萩の吉田松陰]

SH3B0006.jpgSH3B0006緑の森の中へ
SH3B0008.jpgSH3B0008あの山を越えていく
SH3B0009.jpgSH3B0009萩まで14kmの標識
SH3B0010.jpgSH3B0010赤い瓦

山口市へ出て、それから右へ左へと曲がり、やがて山を越えていく。
車での移動はあっと言う間である。

今の時代ではそれが当たり前なのだろうが、五街道をこの二本の脛で歩き通しタ私にとっては、自動車の旅は驚くほどに速くて、そして味気ないものだった。
便利ではある。

車の旅で最も嬉しいことは、今夜のテント宿泊地を探す必要がないことである。

適当な場所へ駐車して、車内のシュラフに潜り込むだけで一夜を過ごせる。
この獣たちから保護された自動車の内部の安心感は何者にも替えがたい。

羊の群れの山々が消えてくると山口市に入ったということだ。
やがて深い森の中へと車は入っていく。

険しい山を越えることでようやく萩市へ入る。

山越えをしながら、戦国時代の戦に破れ、失意の中に広島から山口萩へと転居させられた毛利家家臣団の気持ちを思った。

防府から山口まではほぼ直線で広い道路が続いている。

山陽方面の産業地帯と県庁所在地の山口市とは便利さで接続されている。

しかし、山口から山陰地方の海辺にある萩への道は細い山道を越える苦労を強いられる。

自動車ではあっと言う間であるが、街道歩きを想像すればとても辛く長い山間歩行が続いていたことだろう。

「徳川家康めー!」

関が原の敗戦の結末がこの苦しく長い旅である。

「いつか家康を倒してみせようぞ!」

藩主のみならず足軽の一兵卒に至るまで家臣たちがそう思わないはずがない。
その思いを300年も継続させて、幕末に発散させ切ったのである。

勝海舟や坂本龍馬の戦争を回避しようという暖かいヒューマニズムなどは長州人にとっては邪魔者でしかない。

邪魔者は消せ。

坂本龍馬暗殺の下手人説に最近は勝海舟本人説が登場してきた。
意表を突く推理ではある。

私は長州人説を考えたい。
坂本龍馬は、温和な革命によって国内戦争を回避し、徳川家を温存しようと画策した。

300年の長州の怨念をようやく晴らせる舞台であったが、それを龍馬は帳消しにしようとしたのである。

この仮説の面白さは、長州藩出身の「奥羽鎮撫総督府下参謀」選出の「謎」をも解くことである。

吉田松陰の弟子である木戸孝允は、朝廷から内示まで出ていた品川弥二郎を世良修蔵に替えさせている。

薩摩の黒田清隆、長州の品川弥二郎が奥羽鎮撫総督府下参謀では、まとまる話がまとまってしまうのである。

つまり奥羽列藩同盟が恭順し無血開城になってしまうのである。

どこかで徳川方の血を流さねばならない。

世良はその目的達成のために送り込まれたのであろう。
まとまる話を破壊してくる使命を負っていたのである。
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